2017年4月7日金曜日

家族愛

今日で実家暮らし19日目ぐらい。

もう家族の一員です。

プロの居候はやはり溶け込み方がスムーズ。

全く違和感を感じさせずに家族に溶け込みます。

そして、妻と子供を連れて無銭で居候するという荒業を成し遂げるのです。

さて、今日から農家っぽい農業の記事を書くとか言っておきながら、

全く関係ない家族愛について書きたくなったので、

予定変更で「家族愛」について書きます。

僕がどれほど家族を愛しているかをつらつらと書きます。

うそです。ちょっと思ったことを書きます。

今日は母親の仕事が珍しく休みだったので、妹と甥っ子と僕の息子と5人で買い物に出かけました。

僕の奥さんは自動車学校に行っていて同行はありませんでした。

母親と妹と買い物なんて、子供の頃に戻ったみたいでした。

でも買ってるものは、それぞれ子供の服ですけどね。

妹も息子に。僕も息子に。母は両方の服を選ぶ係。4歳の甥っ子は僕の息子をあやす係(だいたいおもちゃコーナーで遊んでます)

そんなほのぼのした時間を過ごしている中、

僕は何故か、人の死について考えていました。

僕にはこういう天才っぽいところがありますが、残念ながらただの変態です。

僕はその時、祖父母や両親や妹、妻や息子など大切な家族の死という重いテーマを考えていました。

そして時折、母親がチョイスした洋服に「良いんじゃない。」と言うのです。その言動に責任はゼロです。

身近な家族の死を想像すると、失うのが怖くなりました。

永遠の別れではないから大丈夫、魂は永遠だからまた会えるとか思っても、生きている間はもうあえないわけですよ。

そう考えると、「死」というものがなんかリアルでした。

と同時に「生」もリアルに感じました。今一緒に同じ時を生きていることがとってもありがたいことだと思うことが出来ました。

死んでからその大切さに気づくのではなく、生きている今、その大切さやありがたみに気づく事が出来て本当に良かった。

今なら優しい言葉もかけられるし、

抱きしめることもできるし、

感謝を伝えることも出来ます。

それを出来るって、

幸せなことなんですよ。

皆さんも時々、あえて大切な人の「死」を考えることでその表裏一体の「生」に気付くということをしてみては如何でしょうか。

なかなか、マニアックな遊びですが、

とっても大切なものに気が付くかもしれませんよ。

ありがとうございました。

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