2017年7月30日日曜日

伊勢神宮の旅

いや〜はるばる伊勢まで行って来ましたよ。

渋滞もあって、結局片道8時間以上。

運転は大変でしたけど、
伊勢はとってもいいところでした。

一日目、関東を午前中に出発して、
伊勢の宿についたのは夕方6時前でした。

伊勢神宮の外宮(げくう)のすぐ近くに宿をとったので、とりあえず荷物を宿においてから、伊勢神宮の外宮を散歩しました。

旅館の女将さんとご主人も親切な方で、息子のおかゆを温めてくれたり、お湯もこまめにお部屋に届けてくれたり本当に色々お世話になりました。平日だったので、他の宿泊客はなく、貸し切り状態でした。伊勢にいくときはまたお世話になります。⇒旅館つるや

伊勢神宮外宮の参拝時間は19時までだったので、雰囲気だけ味わった散歩でした。

今まで生きてきた中で見たこともないような、ものすごく太い木が数本ありました。

敷地内のイヤシロチっぷりが、すごかったです。明治神宮と同じ感じがしました。

伊勢神宮の外宮には豊受大御神が祀られています。農業、衣食住の神様。

「これから農業を営んで生活していきます。どうぞ宜しくお願いします。」

と、ご挨拶をして宿に帰りました。

今回の伊勢神宮の旅は、神様に農業をはじめるご挨拶をするというのが目的です。

そして次の日の朝、再び外宮を参拝して、その後は内宮へ。

外宮⇒内宮

というのが参拝の正式なルートらしいです。外宮と内宮は車で4キロくらい離れていました。

内宮へ向かい、駐車場を探しる途中で偶然、間違えて入った駐車場が猿田彦神社の駐車場でした。もともと、参拝をしたいと思っていたのでラッキーでした。

そして、その後は伊勢神宮の内宮を参拝しました。

平日でしたが、結構な人でした。砂利道でベビーカーを押すのは本当にしんどかったです。汗だくでした(笑)

伊勢神宮、初めてでしたけど、

すごくいいところでしたよ。エネルギーに満ち溢れている気がしました。

またいつか、行きたいなと思います。

農業が軌道に乗ってきたら、ご報告とお礼にいかなくっちゃね。

帰りはおかげ横丁で食べ歩きをしたりして、早めに帰りました。また8時間かかりますから。

途中、サービスエリアで休憩を何度か挟んで、ソフトクリームを食べたりしながら、帰ってきました。

案の定、また渋滞にはまったので8時間以上かかっちゃいました。

でも、家族が皆無事に帰ってこれて良かったです。ふう。

最後に、僕が参拝したいなーと考えている神様をご紹介しておきますね。

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)…神様の神様。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)…皇室の祖神。

豊受大御神(トヨウケノオオカミ)…農耕の神様。

猿田彦神(サルタヒコノカミ)…産業の神様。

武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)…武の神様

経津主大神(フツヌシノオオカミ)…武の神様

ありがとうございました。
に

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2017年7月25日火曜日

伊勢神宮にいってきます

近々、伊勢神宮にいくことになりました。

本当は今の時期は移住に大忙しのはずだったのですが、

村営住宅のクリーニングがまだ済んでいないため、少し遅れています。

ということで、急遽、伊勢神宮にお参りに行くことになりました。

行ったとこないんですが、前から行きたかったのと、伊勢神宮の外宮(げくう)に農業の神様である、

『豊受大神宮(外宮)
【とようけだいじんぐう(げくう)】

食物・穀物を司る神である豊受大御神がお祀りされています。内宮創建から500年後に伊勢の山田原にご鎮座された『衣食住をはじめ、あらゆる産業の守り神』です。』

に農業を始めるためのご挨拶をしにいくわけです。

神社があるところってのは、イヤシロチが多いなーと思います。明らかにまわりと気配が違う。明治神宮なんかは特にそう思います。

きっと伊勢神宮もそうなんでしょうね。

神聖な気に触れてこようと思います。

さて、これは本当に最近知ったんですが、

僕の同級生に、外務省のお仕事で某国の大使館に勤めていたとっても真面目な友人がいまして。

そんなエリート道を行った彼が日本に帰って来て、何故か占い師になったそうなんです。

ものすごく異色な人生を歩んでいることを知って驚きました。

連絡したら、タロットや算命学が専門だそうで、今度見てもらってきます。

その友達に、今度行くから見てって連絡したら、急に

僕は天将星が2つある大変珍しい星のもとに生まれているそうで、非常にエネルギーが強く、運動をして発散でもしないと逆に病気になるくらいだと言われました。

だから、人一倍運動をするようにと。

脳梗塞をやってるし、そうかも。と思いました。

しっかし、面白いな〜。

生き方が。最高。

ありがとうございました。

2017年7月21日金曜日

読書で夫婦仲良く

さて、今日も暑い一日が始まりました。

僕はパソコンをカタカタ。

後ろでは息子がお昼寝をしています。スヤスヤ。可愛すぎる。。

こないだ、村の人も言っていましたが、最近は離婚を選択する夫婦も多いとか。

熟年離婚とかね、いろいろ聞きますよね。

そんなんなったらどうしようって感じですが、たぶん大丈夫だろうと思います。

僕の友人でも、すでに何人か離婚してしまった夫婦がおります。

親戚の中でも、ちらほらそういう話を耳にすることがあります。

僕は今のところ離婚の危機が訪れたことはありませんが、

でも、それは僕だけが思っていることであって、妻はどう思っているかは定かではありません(笑)

ただ、一つ、これはいい習慣だなと思うのは、

夫婦で同じ本を読んでおくようにするということです。

僕と妻はどちらも本好きなので、お互いがいつも何かしらの本を読んでいます。

そして、それを共有しています。

付箋などが貼ってあると、ああ、妻はこういうところが気になったのか。ふむふむ。とか思いながら読んでいます。

だいたい、僕が怪しい本を注文しますが、妻は読んでくれています。

同じ本を読むってことは、頭の中にある情報は似通っているのかなと思います。

まあ、話が合うっていう状態ですよね。

めっちゃ本好きな二人が、同じ本を読んでいるわけですからね。

そして、その読んだ本の感想を話し合う。読書会みたいですよね。

読んでいる本を共有するという行為は、仲を深めるにはとってもいい行為だと思います。

別に、夫婦じゃなくても、友達同士でも、

こういうブログでもね。

僕はこれからも変な本を読み続けていきますよ。

そしてブログで紹介していきますので、機会があれば読んでみてください。

ありがとうございました。

に

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2017年7月20日木曜日

あの世に聞いた、この世の仕組み3



さあ、今日でラストです。この本で3つも記事を書いちゃいました(笑)

この本、続編「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」っていうのも出てて、今読んでるんですけど、すごくいいです。

わかりやすい。雲黒斎さんありがとう!

さて、今日はこの本の最後の方のところ。真我と自我の部分を書いておきたいと思います。

「真我」はヨガが好きな人なら、アートマンと言われてて親しみがあるかもしれないですね。

今日はその自我と真我のお話しです。

引用始め

「自我を消失すれば、真我を発見できる」

このことを、自我(思考)は自らの生き残りをかけて、次のようにアウトプットした。

「自分の内側奥深くには、私本来の光り輝く''真我''という姿がある」

これなら、自我が消えてもなお「光り輝く個性」、つまり「真我」という名の「何か」を残すことができる。

つまり、自我は「個」の消失を避けるため、「真我」に何らかの新しい「定義」をもたせ、そこに「個としての性質(自我)」を継承させた。

この「何か」のことを人は「魂」と呼んでみたり、「霊」と言ってみたり、「心」と名づけてみたり、「意識体」などと解釈したりする。

どんな名称であれ、そこに「定義づけ」を行い「個としての性質」を維持させようとするんだ。

でも、「個」である以上、これは「真我」ではなく「真我のふりをした自我」なんだ。

このトリックに気づけないある人は、このように嘯く(うそぶく)。

「この''光り輝く個性''の寄り集まりが''神''である」

そんなのは大嘘だ。神でもなんでもない。「光輝く個性」などと自らを美化し、自分を神だと勘違いしている自己陶酔型エゴの塊。いまだ「個」に執着しつづけている自我の姿だ。

繰り返しになるが、存在そのものは、何ものでもない。

それを図にするとこうなる。

自我(エゴ)は、以前話した「ゴムボール」と同じだ。

''自分''を守ろうとして自分でつくり上げた防護壁。

さまざまな思い癖の集積ででき上がった「自」と「他」を分ける分離思考。

その厚い壁の内側にあるのは…。

からっぽ…。

「空から」、つまり「空くう」だ。

自我(エゴ)という名の壁がなくなったとき、壁の内にあった「空間(本当の自分)」と、壁の外にあった「空間(大いなる存在)」が一つとなり、存在本来の姿(全体)となる。

壁が消えたそのとき、''幻想の自分''の内側深くにあったもの、および''幻想の自分''を包み込んでいたあらゆるものこそが、本当の自分であったこと、本来の命の姿であったことに気づき、自分が''すべて''であることを知る。

''自分''の意味が、自我(分離・思考)から真我(統合・宇宙)へ逆転する。

私が何度も話してきた「ワンネス(存在のすべてはおまえだ)」とか『私はおまえだ』と話ししてきたのはこういう仕組みがあるからなんだ。

引用終わり

いや~今日もわかりやすいですね。

真我は光り輝くダイヤモンドじゃなくて、「空くう」だった。

なるほど。

精神世界のお話しではよく、ワンネスとかすべては一つって言いますけど、

それはまさに、こういうことだったということです。

これが世界の常識になる日がいつかきます。

ガリレオを思い浮かべながらそんなことを想います。

ありがとうございました。

に

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2017年7月18日火曜日

あの世に聞いた、この世の仕組み2



さて、今日もこの本から大事だと思うところを取り上げていきます。

もはや農業ブログではなく、ただの怪しいブログですが気にしないでください。

誰がなんと言おうと農業ブログですから(笑)

今、移住に向けて動いてるので、大丈夫です。移住先の家をクリーニングするそうなので8月まで待ってくれということでした。

今月いけると思ってたけど、ダメでした。そうなると、農地を借りるのはもうちょっと後になりそうです。農業ブログとして堂々と記事を更新できるのはまだ先ですね(笑)

まあいいか。そんなわけで、こういうドタバタの時期も、日々をありのままに書いていきます。

ちなみに、耕作放棄地を借りたいなあと思っています。農薬や肥料分が抜けてると思うので。

さて、話変わりまして今日はここ。

自分と他人が実は、一つの存在だったというお話しです。

「はぁ?」だと思いますが、まあ柔軟に、頭をやわらかくしていきましょう。

引用開始

その「主観」こそが錯覚の始まりなんだよ。五感で感じられるものがすべてじゃない。人間の認識能力は実に不完全なものなんだ。

さて、どうやって説明しようかな…。よし、黒斎。説明してあげるから風呂に入ろう。

「え?風呂?」

いいからいいから。さあ、湯船につかって。

…よし。じゃあ湯船の中から、手の指だけを出してくれ。


多くの人間は、「自分」に対して、「Aさん」「Bさん」という「自分以外」の人や物が独立して存在していると思っている。

たとえるなら、「自分」は右手人差し指で、「Aさん」は左手薬指で、「Bさん」は左手の親指、といったぐあい。

もともとは「人体」という、一つの大きな存在であるにもかかわらず、「右手人差し指」「左手薬指」「左手の親指」が独立して(切り離されて)存在していると勘違いしている状態なんだ。

なぜそういった勘違いが生まれてしまっているかというと、認識能力の限界によって、それぞれの「つながり」をとらえることができていないから。

「水上」が人間の五感で認識できる領域(三次元・現象界)で、「水中」がその認識能力を超えた領域(多次元世界)だ。

本当はつながりをもっているにもかかわらず、自分の認識能力において水中がどうなっているかを把握できない状態では、水の外に出ている「指先」は、まるで独立して存在しているかのように感じてしまう。

そこから生まれた「認識できない=つながりがない」というこの考えが間違いの発端になっている。

「私という独立した存在がある(自我)」というこの錯覚・思い込みは、仏教では『有身見うしんけん』という言葉で説明されていてね、煩悩の一つなんだ。

この「自」と「他」を分離する壁がなくなる状態、つまり、自我が消えた状態のことを『無我むが』と言う。「無我」は読んで字のごとく「我が無い」という意味だが、それは「存在が消滅する」ということではない。

「自他を分ける壁がなくなり、あらゆる存在と一つになり”私”という独立した概念がなくなる」ということなんだ。

引用終わり

さて、どうでしょう。わかりやすっ!って僕は思いました。

命は、この世にたくさんあるんじゃなくて、

一つだったということです。

僕もあなたも。

バラバラじゃないんだ。本当はみんな一つなんだ。

そういう価値観を持って生きると、

愛のある人間として、有意義に生きれるんじゃないでしょうかね。

ありがとうございました。

  に

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2017年7月17日月曜日

あの世に聞いた、この世の仕組み1



コレ、面白い!!

ありきたりな怪しい本かな~と思いつつ、なぜか買って読んでみましたが。

「なにコレ!めっちゃわかりやすい!しかも、納得できる!」



引用

まず、「あの世」にはおまえの魂の大本(大きな自分)がある。

これを「黒い粘土」だとしよう。この黒い粘土の目標は、自分の魂を漂白し「白い粘土」になること。

ただし、あの世で魂の漂白の作業を行うのはとても大変なことなんだ。

魂は、あの世にいるより、この世にいたほうが漂白の効率がいいんだよ。

本当は一気に漂白したいところなんだが、あの世にはこの「漂白したがっている黒い粘土」がたくさんいてね、順番待ちが起きているんだ。私だけが「じゃあ、お先に!」ってわけにはいかなくてね。

「この世」は物質界であるかゆえに、生まれることができる魂に限りが出てしまうんだよ。

そこで、「あの世」にいる黒い粘土は、自分の一つまみ(小さな自分)だけをこの世に送るんだ。

この一つまみの粘土の使命は、その生涯をかけてできるだけ自分を漂白すること。

そして、その粘土がその役目を終えると、あの世の大きな粘土のもとへ帰ってくる。

そうすることで大きな粘土はやっと「黒」から「グレー」になることができる。

そして、この作業(転生)を延々と繰り返し、大きな粘土はどんどん白くなっていくんだよ。

引用終わり

こりゃあすごい。わかりやすい。

何度も何度も輪廻転生を繰り返しながら、魂を磨いていくということを

こうやってわかりやすく説明している。。

僕もなんだかスッキリわかっちゃいました。

こういうことを受け入れられる人が世の中にだんだん増えてきていると思います。

そうするとね、何人とか何教を信仰しているとか、

そういう争いってなくなると思うんですよね。だって、次は自分がそっちに生まれ変わるから。敵対していると来世そっちに生まれちゃう。

両方を経験して、プラスマイナスゼロで、クリアですからねこの世は。

まあ、それはちょっと話が行き過ぎましたが、

とにかくわかりやすい本なので、

これからも、もう少し中身を取り上げたいと思います。

うちでは妻が先にこの本を読んで、

「何コレ!めっちゃいいじゃん!」って、僕と同じ感想を言ってました(笑)

夫婦でこういう怪しい本を読んで、

それについて会話ができるって、とっても楽しいことです。

ありがとうございました。

に

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2017年7月16日日曜日

移住先に行ってきました

無事に移住先から帰ってきました。

一昨日にマイカーの納車がありまして、昨日さっそく朝から山梨へ行ってきました。

連休の初日ということで、道路は激込み。さらに高速は事故渋滞で超混雑。

予定よりも3時間ほど遅れて到着しました。

大自然の中でのんびり出来て良かった~。空気は美味しいし、みんな優しいし、最高でした。

一つわかったことは、というかわかっていましたが、

無農薬無肥料での農業は不可能という間違った常識がまかり通っている事実を目の当たりにしました。

地元の方と話していると、そんな感じです。3年で経営破たんだよって言ってました。

おお!ついにきた!って思いました。

自然栽培を目指す人が一度は言われることだと思います。

「やめときなって。無農薬無肥料は無理無理。」

「やっぱ難しいですかねぇ。そうですよねぇ。でも、挑戦してみたいんですよ。」

という、農家さんとのやり取りを、みんな経験していますよね。

そして、僕みたいな自然栽培の農家を目指している方は皆さん同じだと思いますが、

心の中では「大丈夫、俺はやってやるぜー!!」って、ふつふつと燃えてきますた。

僕は思うんです。

そんなの出来っこないと大多数に思われている今だからこそ、

絶好の参入時期というか、

無農薬無肥料の自然栽培はものすごく革新的なことだと思うんですよね。

これまでの常識に風穴をあけるがごとく。

僕の友達も実家の農家を継いだんですが、農薬肥料をふつうに使う慣行農家で、

無農薬無肥料なんて絶対出来ないよ、やめときなって、言ってました。

そこで僕が、自然栽培の農家として成功したら、すごいじゃないですか。

面白いじゃないですか。僕はやりますよ。

まあ、あまりやる前からごちゃごちゃ言うのはやめときますけどね。

決意表明しときます。

無農薬無化学肥料の自然栽培。

成功させてみせる。

成功するまで、試行錯誤してやり続ける!

えいえいおーー!!

に

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2017年7月9日日曜日

百匹目の猿現象を信じるか?



僕は百匹目の猿現象というのを信じているんです。

まあ、信じる信じないの話ではないですけどね。実際にある現象なので。

百匹目の猿現象ってなんじゃい?って人はこの本を読むといいと思います。

どんな現象かというと、

それは宮崎県の幸島というところで、京都大学霊長類研究所の研究者たちが、島に住む猿たちにサツマイモの餌付けをはじめたときの話です。

餌付けは2年後に成功して、猿は畑からとれたばかりのサツマイモの泥を手や腕でキュッキュとふいて、食べていたそうです。

ところが、一匹のメス猿が芋を川で洗って食べることをし始めたんですって。

すると、瞬く間に他の若い猿や母親猿が真似をし始め、群れの半数以上が同じように水洗いをするようになったというのです。

「チャポッ…。ン?何コレ、簡単に泥が落ちるじゃないのよぉぅ!!」ってな具合でしょうか。

面白いのは、このとき年寄りの雄猿たちは、メスや若い猿達の行動は見ていたけど、自分たちは最後まで真似をしようとはしなかったそうです。

日本の社会みたいじゃないですか。

「そんな、右も左もわからんことをワシが出来るか!!」っていう感じかなあと。

そしてこの話にはさらに続きがあります。

しばらくすると、川の水が枯れてしまったそうなんです。

すると、お猿たちは海岸まで足を延ばして、海水で芋を洗うようになったそうです。

そして海水には塩分がありますから、芋に味がついて一層ウマいんですね。

「んんっ!?これはナイスな塩味だわ!ん~美味!」

お猿たちは、芋を海水で洗うだけじゃなくて、

一口かじってはまた海水にひたし、また一口かじる。って感じで、海水で味付けをするようになったそうです。賢いですね。

するとですね、その行動があちこちに生息する猿に見られるようになったわけです。

物理的に繫がっているところの猿なら、お隣の群れの噂を聞いて真似をするってことがあると思いますけどね、何の関係性もない別の場所の猿にもこの行動が一気に広がったそうです。

それが百匹目の猿現象です。

ある一定の数を超えると、遠く離れたところでも同じ現象が起こり、社会全体に浸透していくという現象。

まるで、情報が新しく更新されると、みんな進化する現代のスマホとかパソコンみたいじゃないですか。

そういうふうに、人類も進化すると思うんですよね。

それはつまり、僕みたいな変な話が好きな人が増えたら、はじめは少数派でもあちこちで増え始めるってことかなあと思うんです。

ある一定の数を超えてくると、あちらこちらで一気に覚醒し始める。みたいな。

それが現在なんじゃないかなと僕は思っています。

それが社会を変える力を秘めているかもなと思うんですよ。

物理的にデモとかやらなくたって、平和を心から望む人がある一定数を超えると、

それが常識として、波のように世界中の人に広がっていく。

そういう社会の変わり方、素敵だなあと僕は思います。

まあ、年寄りの猿みたいに、変化を拒絶するか、

それとも若い猿やメス猿たちみたいに、柔軟に変化を受け入れるか。

あなたはどっち?!

ありがとうございました。

に

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2017年7月8日土曜日

息子そろそろ1歳、そして父無職

もうすぐ息子の1歳の誕生日。

記念すべき日ですが、相変わらず父は無職です。

待ってておくれ、もう少しで移住が完了して、農地を借りたら農業ができるから!

そしたら、胸を張って「お父さんの仕事は農業です」って言えるからね!

しかも、アートテン農法で宇宙からエネルギーをもらって、イヤシロチで土地のエネルギーを高めて、自然栽培で無農薬無化学肥料で、しかもありがとうと野菜に声をかけて…そしてスーパー微生物農法で地中の微生物の力を最大限に引き出して、さらにバイオダイナミック農法の天体サイクルで野菜を育てるという、

ぜぇぜぇ、長い。とにかく非常にマニアックな農業。

なんじゃそりゃ。って感じでしょう。

「頭がおかしいんじゃないか?」

そう先生に突っ込まれること間違いなしです。

そんなことを息子が学校の作文に書いたら、ヤバイなーと父は今から危惧しているわけです(笑)

それにしても、
僕と妻の子供として生まれてくるなんて、面白い運命の子供だなと時々息子の寝顔を見ながらそんなことを思います。

僕も妻も普通じゃないですから。

でも、普通はツライよってよく聞きます。

ちょっとズレてるくらいがちょうど良いんですよねきっと。

そうやって、昔から自分に言い聞かせてきました。ちょっとズレてるくらいが味があっていいじゃないかと。

でもね、本当にそう思うんですよ。

今の常識って、時代が違えば非常識に移るわけですよ。

時代の移り変わりって、カチカチとハッキリ入れ替わるものなの?っていうと、

全然違うじゃないですか。

ゆっくりゆーっくり、人々の価値観が変化していくじゃないですか。

その変化って、非常識って言われる人がポツポツと出てきて、物事の価値観を少しずつ変えていくんですよね。

要するに、非常識な人こそ時代の先端でハンドルをきる役割なんですよ。

きっと僕はそれなんだろうと、自分では思っていますよ。

そういう役割なんだろうと。

その役割の人は、図太さと繊細さと両方を合わせ持ち、いろんな価値観を許容できる柔軟な人間だろうと勝手に思っています。

シナル人。細い竹みたいに、ビュンビュン曲がるけどパキッと折れない強さを持つ。みたいなね。

僕は自分の事を昔からそんな風に思っていますよ。

息子にもそういう柔軟さ、シナル強さを持ってほしいなと思います。

僕と妻を選んで生まれて来てくれたことを本当にありがたく思います。

読んでくださって、ありがとうございました。

2017年7月3日月曜日

移住暮らしセミナー

今日は関東は朝から猛暑で、もわ〜っとものすごい暑さでした。

なので、僕は朝からアイスを食べながらパソコンをカタカタしておりました。

部屋で冷房をガンガンにつけていましたが、外が暑すぎて設定温度を下げてもあまり部屋が涼しくなりませんでした。

どーなってんのこれ!と思いながらホームページを作っていました。ふう。

今日は妻のヨガのホームページを作成してました。

自分のだと、デザインとか自分の好みでどんどん作っていけるんですが、

自分のサイトではないとなると、これがいいかなとか、あっちがいいかなとか、いろいろ迷ってしまってなかなか作業が進みませんでした。

まあ、いい気分転換にはなりましたけどね。

そういえば昨日の日曜は息子もつれて、有楽町まで行って来ました。

移住先である山梨県の暮らしセミナーが開催されていたのでお話を聞きに行って来たんです。

先輩移住者のお話はとても参考になりました。

熊が出るとか、シカが出るとか、いわゆる獣害のお話も聞けたりして、すごくリアルでした。

再来週には実際に移住先に行って、住むところを決めてこようと思っています。

そして、移住がすんだらまずは農地を借りないとね!

いよいよです。現実的になってきました。

ついに。。

僕は18歳で東北の田舎から上京し、都会暮らしをかれこれ15年もしてきました。

若い頃は横浜に住んでいて、よく渋谷、六本木、池袋、新宿、などでも遊びました。

バイトも渋谷とか下北沢でやっていたりして、都会を満喫していました。

やはり、無いものを欲しがるのが人間のサガなのでしょうね。

東北の田舎にはない、キラびやかで少しダークな世界をカッコイイと思っていました。

でも、そんな都会かぶれな暮らしも最初だけで空きちゃって。というか、疲れちゃって。

いつしか、山や川や田んぼや畑がある風景が恋しくなり、田舎に住みたいなと思うようになっていきました。

それが、ようやく叶います。今月末。

そこから始まるんです。壮大な田舎暮らしが。

息子は今月1歳になります。

息子を田舎で育てたい。

そう思っていたのが、いよいよ現実になるんですね。

楽しみです。

ありがとうございました。

2017年7月2日日曜日

イヤシロチ

最近はパソコンに向き合う日々ですが、

合間には本を読んでいます。

今は読んでいる本は「イヤシロチ」著:船井幸雄という本です。

1と2があります。




農業のことを勉強していて、どうやら土地によってエネルギーが高いところと低いところがあるようだってことは前から知っていたので、

僕が農業をやる土地のエネルギーを高める方法が何かわかるかもしれないと思って読んでみました。

あまり、目的をもって本を読むことはしないんですが、今回は淡い期待を抱きつつ読んでみました。

やっぱり。エネルギーの高い土地は確かに存在している。と思いました。

エネルギーの高いところを「イヤシロチ」といい、低いところを「ケガレチ」というそうです。

僕は少しでもエネルギーの高い野菜を生産し、それを食べる人の健康状態が良くなったり、精神的に豊かになったり、そういう影響を与えられるような野菜づくりがしたいのです。

単純に、野菜という物質を生産するのではなくて、高エネルギーの野菜、食べた人の振動数をぐっと上げてしまうような野菜、つまり精神的な意味や使命を持った野菜をつくりたい。

本にも書いてあったけど、あるイヤシロチの島で作られるパパイヤが、

ものすごい健康効果を持っているという話がありました。大いにありえる話です。

エネルギーの高い野菜ってなんだよ?空想?

いえいえ、それが空想じゃなくないことに気が付くのが、これからの世の中です。

大昔の人から見れば、電波や電気、そういったものも空想の話でした。しかし、それは現実にあるとして利用されているのが現代です。

「それでも地球は丸いんだ!」と言ったガリレオのように、その時は受け入れられない価値観でも、時が過ぎれば常識になってきました。そういう時代の流れの中に生きているということを自覚すれば、考えが凝り固まることはありません。

未来は全ての物質が持つエネルギー、振動数や波動のことが明るみになると僕は思います。

そう思っているので、この本はとても参考になりました。興味のある変な人は読んでもいいと思います。

その土地をイヤシロチ化する方法は、炭を埋めること。

あとはそこにいる人間の波動が高まることだと思いました。

人間だけが唯一、振動数を高くも低くも変えられる生き物です。

そしてそれが、周囲にも土地にも影響を与えるのです。

だから僕は、振動数を下げません。

太陽のように、いつどんなときでも、
ぽかぽかとあたりを照らす存在でいようと思います。

台風は所詮は一過性でしかなく、
それに一喜一憂して自分の気分も上下させる必要はないんです。

いつも楽しく生きよう。あたたかい心で、やさしい心で、思いやりのある心で。

ありがとうございました。
今日はこれから東京へ出かけます。

に

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