2017年7月20日木曜日

あの世に聞いた、この世の仕組み3



さあ、今日でラストです。この本で3つも記事を書いちゃいました(笑)

この本、続編「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」っていうのも出てて、今読んでるんですけど、すごくいいです。

わかりやすい。雲黒斎さんありがとう!

さて、今日はこの本の最後の方のところ。真我と自我の部分を書いておきたいと思います。

「真我」はヨガが好きな人なら、アートマンと言われてて親しみがあるかもしれないですね。

今日はその自我と真我のお話しです。

引用始め

「自我を消失すれば、真我を発見できる」

このことを、自我(思考)は自らの生き残りをかけて、次のようにアウトプットした。

「自分の内側奥深くには、私本来の光り輝く''真我''という姿がある」

これなら、自我が消えてもなお「光り輝く個性」、つまり「真我」という名の「何か」を残すことができる。

つまり、自我は「個」の消失を避けるため、「真我」に何らかの新しい「定義」をもたせ、そこに「個としての性質(自我)」を継承させた。

この「何か」のことを人は「魂」と呼んでみたり、「霊」と言ってみたり、「心」と名づけてみたり、「意識体」などと解釈したりする。

どんな名称であれ、そこに「定義づけ」を行い「個としての性質」を維持させようとするんだ。

でも、「個」である以上、これは「真我」ではなく「真我のふりをした自我」なんだ。

このトリックに気づけないある人は、このように嘯く(うそぶく)。

「この''光り輝く個性''の寄り集まりが''神''である」

そんなのは大嘘だ。神でもなんでもない。「光輝く個性」などと自らを美化し、自分を神だと勘違いしている自己陶酔型エゴの塊。いまだ「個」に執着しつづけている自我の姿だ。

繰り返しになるが、存在そのものは、何ものでもない。

それを図にするとこうなる。

自我(エゴ)は、以前話した「ゴムボール」と同じだ。

''自分''を守ろうとして自分でつくり上げた防護壁。

さまざまな思い癖の集積ででき上がった「自」と「他」を分ける分離思考。

その厚い壁の内側にあるのは…。

からっぽ…。

「空から」、つまり「空くう」だ。

自我(エゴ)という名の壁がなくなったとき、壁の内にあった「空間(本当の自分)」と、壁の外にあった「空間(大いなる存在)」が一つとなり、存在本来の姿(全体)となる。

壁が消えたそのとき、''幻想の自分''の内側深くにあったもの、および''幻想の自分''を包み込んでいたあらゆるものこそが、本当の自分であったこと、本来の命の姿であったことに気づき、自分が''すべて''であることを知る。

''自分''の意味が、自我(分離・思考)から真我(統合・宇宙)へ逆転する。

私が何度も話してきた「ワンネス(存在のすべてはおまえだ)」とか『私はおまえだ』と話ししてきたのはこういう仕組みがあるからなんだ。

引用終わり

いや~今日もわかりやすいですね。

真我は光り輝くダイヤモンドじゃなくて、「空くう」だった。

なるほど。

精神世界のお話しではよく、ワンネスとかすべては一つって言いますけど、

それはまさに、こういうことだったということです。

これが世界の常識になる日がいつかきます。

ガリレオを思い浮かべながらそんなことを想います。

ありがとうございました。

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